「鬼滅の刃って大正時代が舞台って聞いたけど、具体的に大正何年なの?」
「第1話や無限列車編は、いつの出来事?」
「なんで江戸時代や現代じゃなくて、わざわざ大正時代なの?」
鬼滅の刃を見ていて、こんな疑問を感じたことはありませんか?
作品を楽しむ上で、「いつの時代の話なのか」を知ることは、実はとても大切です。炭治郎たちが生きた時代背景を理解すると、キャラクターの行動や物語の設定により深く共感できるようになります。
この記事を読むことで、あなたは以下のことが分かります:
✓ 鬼滅の刃が大正何年から始まり、何年に最終決戦を迎えたのか(正確な年代)
✓ 第1話、最終選別、無限列車編など、各エピソードの具体的な時期
✓ なぜ「大正時代」という舞台設定が物語に不可欠だったのか
✓ 大正時代の文化・生活・社会問題が、作品にどう反映されているのか
✓ 100年前の大正時代と現代の私たちとの意外な共通点
作中に散りばめられた手がかりを一つずつ解き明かしながら、「鬼滅の刃は大正何年の物語なのか」を完全解説していきます。
この記事を読み終わる頃には、作品を見返したくなること間違いなしです。それでは、一緒に大正時代の世界へ旅立ちましょう。
鬼滅の刃は大正何年から始まる?物語の時代を完全解説
【結論】鬼滅の刃は大正元年12月(1912年12月)に始まり、約3年間で最終決戦を迎えます。第1話は1912年12月頃、最終選別は大正4年(1915年)、無限列車編は大正5年11月(1916年11月)です。
鬼滅の刃の時代設定について、まず結論からお伝えしましょう。物語は大正元年から2年(1912〜1913年)頃に始まります。
では、なぜこの時期だと断言できるのでしょうか。作中に登場する重要な手がかりを一つずつ見ていきます。
鬼滅の刃の第1話は大正元年〜2年(1912〜1913年)
第1話「残酷」の冒頭、雪が降る中で炭治郎が炭を売りに町へ降りていく場面から物語は始まります。このとき、炭治郎が口にする重要な台詞があるんです。
「正月になったらみんなに腹いっぱい食わせてやりたいし」
この一言が、時代を特定する大きな鍵となりました。正月はまだ来ていない、つまり年末の時期だということが分かります。そして作中で明確に「時は大正」と語られているため、これが大正元年の12月なのか、大正2年の12月なのかに絞られるわけです。
ただし、大正元年は1912年7月30日から始まっているので、1912年1月はまだ明治時代。したがって、物語の開始は1912年12月、または1913年のいずれかの12月となります。
手鬼の台詞が時代特定の鍵
では、どちらなのか。ここで登場するのが、最終選別で炭治郎と対峙した「手鬼」の発言です。
手鬼は炭治郎の師匠である鱗滝左近次を恨んでおり、こう叫びます。
「忘れもしない四十七年前 アイツがまだ鬼狩りをしていた頃だ」
「江戸時代…慶応の頃だった」
この台詞が決定的な証拠となりました。慶応年間は西暦で言うと1865年5月1日から1868年10月23日までの、わずか3年半しかありません。
ここから47年後を計算すると、1912年から1915年の間となります。さらに、炭治郎が鱗滝の元で約2年間修行していることを考慮すると、物語の開始はその2年前。
つまり、最終選別が1915年(大正4年)だとすれば、第1話は1913年(大正2年)の12月頃。最終選別が1914年(大正3年)であれば、第1話は1912年(大正元年)の12月となります。
多くの考察では、旧暦の使用や季節の描写から、第1話は1912年12月、最終選別は1915年2月頃という説が有力視されていますね。
各エピソードは大正何年?時系列まとめ
鬼滅の刃の物語全体を時系列で整理すると、以下のようになります。
大正元年12月(1912年12月)
竈門家が鬼に襲撃される。禰豆子以外の家族が死亡し、禰豆子は鬼化。炭治郎は冨岡義勇と出会い、鬼殺隊の存在を知ります。
大正2年〜3年(1913〜1914年)
炭治郎が鱗滝左近次の元で約2年間の厳しい修行を積む期間です。この間に全集中の呼吸や水の呼吸を習得していきました。
大正4年2月(1915年2月)
最終選別が行われ、炭治郎は鬼殺隊に入隊。同期の我妻善逸や嘴平伊之助とも出会います。
大正5年11月19日(1916年11月19日)
無限列車編の舞台。気象予報士の森田正光氏が、作中に描かれた月齢(月齢23)と実際の観測データから、この日付を導き出しました。炎柱・煉獄杏寿郎との出会いと別れが描かれる重要なエピソードです。
大正5年〜6年(1916〜1917年)
遊郭編から刀鍛冶の里編、そして無限城での最終決戦へと物語は進んでいきます。
物語全体の期間は約3年間
第1話から最終決戦までの期間を計算すると、およそ3年程度となります。
内訳を見てみましょう。まず、炭治郎が鱗滝の元で修行していた期間が約2年間。そこから鬼殺隊に入隊し、数々の任務をこなしながら最終決戦を迎えるまでが約1年間です。
ところで、鬼滅の刃を読んでいて気づいた方もいるかもしれません。真夏の描写がほとんど登場しないんです。
キャラクターたちは常に羽織を着るなど、それなりに厚着をしています。もちろん当時は和服が基本なので、現代のように半袖のシャツを着るわけではありませんが、それを考慮してもモブキャラクターまで含めて真夏の描写が見当たりません。
これは作者が意図的に夏を飛ばしたのではないかと考えられています。おそらく、キャラクターの服装デザインを変えることなく物語を進めたかったためでしょう。
実際、無限列車編の後には「訓練や任務を行っていた」という簡単な描写とともに4ヶ月もの時間が経過しており、この間に夏が過ぎたと推測されます。炭治郎が善逸、伊之助と一緒に裸でトレーニングしている場面があることからも、この時期だったと考えられますね。
大正時代とは何年?わかりやすく解説
そもそも大正時代とは、いつからいつまでを指すのでしょうか。
大正時代:1912年7月30日〜1926年12月24日(約15年間)
明治天皇が崩御し、大正天皇が即位したことで始まった時代です。そしてわずか15年という短さで幕を閉じました。これは日本史上最も短い時代区分となっています。
明治時代が約45年間、昭和時代が約64年間続いたことを考えると、大正時代がいかに短かったかが分かります。しかし、この短い期間に日本は大きく変化しました。
明治時代に築かれた近代化の基盤の上で、さらに西洋文化が浸透し、都市部では電気やガスが普及。人々の生活が劇的に変わっていく時代だったんです。まさに明治から昭和への橋渡し期と言えるでしょう。
大正時代の主な出来事
大正時代に日本で、そして世界で何が起きていたのか。主な出来事を見ていきましょう。
第一次世界大戦(1914〜1918年)
鬼滅の刃の物語が展開されている真っ最中に、世界では大戦が起きていました。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦しています。戦時中、日本は軍需品を輸出して好景気となりましたが、この恩恵を受けたのは主に資本家や地主などの富裕層でした。
スペイン風邪の流行(1918〜1920年)
約100年前に起きた世界的な感染症の大流行です。日本国内でも約2380万人(当時の人口の約43%)が感染し、約39万人が亡くなりました。
今の私たちが新型コロナウイルスのパンデミックを経験したように、大正時代の人々もこの恐ろしい感染症と戦っていたわけです。不思議なめぐり合わせを感じますね。
関東大震災(1923年)
大正12年9月1日、マグニチュード7.9と推定される大地震が関東地方を襲いました。東京・横浜を中心に火災や建物崩壊により甚大な被害が発生し、死者・行方不明者は10万人を超えたと言われています。
大正デモクラシーの高まり
「デモクラシー」とは民主主義のこと。大正時代には、一般の人々が政治への関心を高め、選挙権の拡大や政党政治を求める運動が活発化しました。1925年には普通選挙法が成立し、満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられるようになります(女性の選挙権が認められたのは1945年です)。
炭治郎は何年生まれ?キャラクターの年齢から時代を読み解く
ここからは、キャラクターの年齢から大正何年の時代を生きたのかを考察していきます。
第1話の時点で炭治郎は13歳です。物語が1912年12月頃から始まるとすれば、炭治郎は1899年(明治32年)頃の生まれと推定できます。
つまり、炭治郎は19世紀の最後の方に生まれた世代なんですね。20世紀を迎えたとき、炭治郎はまだ1歳前後の赤ちゃんでした。
同様に考えると、柱たちの多くも明治30年代(1897〜1906年)生まれと推測されます。例えば冨岡義勇は第1話時点で21歳なので、1891年(明治24年)頃の生まれ。胡蝶しのぶは18歳なので1894年(明治27年)頃の生まれということになります。
彼らは明治時代の終わりから大正時代にかけて、激動の時代を生きた世代だったわけです。
日露戦争と鬼滅キャラの関係
炭治郎が5〜6歳の頃、日本では日露戦争(1904〜1905年)が起きていました。
鬼滅の刃には孤児や貧しい境遇のキャラクターが多く登場します。善逸、伊之助、カナヲ、そして多くの鬼たちも元は人間であり、過酷な人生を送ってきました。
実は、これらの設定には日露戦争の影があると考えられています。戦争で一家の大黒柱である父親を失い、残された家族が困窮する。そうした社会問題が、当時の日本には確かに存在していたのです。
炭治郎の父親は体が弱く、おそらく徴兵されませんでした。当時は徴兵制が敷かれており、健康な男性は兵役に就く義務がありました。もし炭治郎の父が健康であれば、間違いなく日露戦争に徴用されていたでしょう。
そう考えると、炭治郎の父が病弱だったことは、ある意味では家族にとって幸運だったのかもしれません。戦争で命を落とさずに済んだのですから。
こうした時代背景を知ると、キャラクターたちの設定により深い理解ができます。作者は大正時代の社会問題を、作品の中に巧みに織り込んでいるんですね。
大正時代の生活と文化〜鬼滅の世界観を深掘り
鬼滅の刃を見ていると、浅草の華やかな街並みと、炭治郎が育った山奥の村との対比が印象的です。
実は、これこそが大正時代の特徴を表しています。都市部と地方では、まるで別の時代のような生活の違いがあったんです。
都市部:電気・ガス・水道の普及
東京などの都市部では、電灯がほぼ完全に普及していました。夜になれば街は明るく照らされ、人々は夜の娯楽を楽しむようになります。ガスも普及し、調理や暖房に使われました。上水道の整備も進み、衛生環境が大きく改善されています。
アニメ第7話で炭治郎が浅草を訪れた際、あまりの華やかさに圧倒される場面がありましたね。「人が、人がいっぱいだ」「夜なのに明るい」と驚く炭治郎の反応が、都市部の発展を物語っています。
田舎:まだ江戸時代のような暮らし
一方、炭治郎が育った山奥の村では、生活様式は江戸時代とほとんど変わっていませんでした。電気もガスもなく、石油ランプや囲炉裏を使って明かりを取り、薪で煮炊きをする。炭焼きという仕事自体が、時代遅れの職業とされていたほどです。
この対比が、物語に深みを与えています。文明が発展する都市部では「鬼なんて迷信だ」と思われる一方、取り残された地方では今も鬼の脅威が続いている。そんな二重構造が、鬼滅の世界観を支えているんですね。
大正ロマンと鬼滅ファッション
「大正ロマン」という言葉を聞いたことがありますか。
これは、大正時代に流行したロマンチックでモダンな文化のことを指します。特にファッションの分野で、和と洋が融合した独特のスタイルが生まれました。
袴にブーツの女学生スタイル
大正時代の女学生といえば、この組み合わせが定番でした。矢絣(やがすり)模様の着物に袴、そして編み上げブーツ。髪には大きなリボンをあしらうスタイルです。
動きやすい袴は、明治時代まで「男性が履くもの」とされていましたが、女子教育の普及とともに女学生の制服として採用されていきました。大正後期になると、セーラー服などの洋服が制服の主流になっていきます。
モダンガール(モガ)の登場
職業を持つ女性たちの中には、洋装に短い髪という当時としては大胆なファッションを楽しむ人々がいました。彼女たちは「モダンガール」、略して「モガ」と呼ばれました。
鬼滅の刃でも、胡蝶しのぶや甘露寺蜜璃といった女性の柱が活躍しています。これも大正デモクラシーの影響で、女性の社会進出が進んでいた時代背景を反映していると言えるでしょう。
隊服のデザインと大正らしさ
鬼殺隊の隊服は、詰襟に羽織という和洋折衷のデザインになっています。
実は、これは編集者からの「大正らしさがほしい」という提案を受けて、作者が考案したものなんです。学生服のような詰襟と、日本の伝統的な羽織を組み合わせることで、大正時代らしさを表現しています。
蒸気機関車と交通事情
劇場版「無限列車編」の舞台となった蒸気機関車。なぜ電車ではなく蒸気機関車だったのでしょうか。
なぜ無限列車は電車ではないのか
大正時代、都市部では電車(市電)が走り始めていました。しかし、長距離を走る列車はまだ蒸気機関車が主流だったんです。
理由は、電気の長距離送電がまだ新しい技術だったため。電車を走らせるには電線を張り巡らせる必要がありますが、それには莫大なコストがかかります。地方の路線まで電化が進むのは、もっと後の時代になってからでした。
大正時代の鉄道網
大正時代には鉄道網が全国に広がり、人々の移動手段として重要な役割を果たしていました。東京と大阪を結ぶ東海道本線は明治時代に開通していますが、大正時代にはさらに地方路線が整備されていきます。
市電・自動車の登場
都市部では市電が走り、自動車やタクシー(乗合自動車)の事業も始まっていました。浅草の場面で市電が描かれているのも、時代考証に基づいたものです。
東京では1927年(昭和2年)に浅草〜上野間で日本初の地下鉄が開通しますが、これは大正時代の終わり頃の話。鬼滅の刃の時代設定(大正5〜6年頃)には、まだ地下鉄は存在していませんでした。
なぜ鬼滅の刃は大正何年という時代設定なのか?作者の狙いを考察
【結論】大正時代は「文明の発展」と「鬼の存在」という矛盾が成り立つ唯一の時代です。科学が発達した社会で鬼が信じられなくなったからこそ、鬼殺隊の孤独な戦いに説得力が生まれ、和と洋が混在する独特の世界観が完成しました。
ここからは、なぜ作者が「大正時代」という舞台を選んだのか、その理由を深く掘り下げていきます。
実は、鬼滅の刃という物語は、大正時代でなければ成り立たなかったのではないか。そう思わせるほど、時代設定と物語が見事に結びついているんです。
大正時代だからこそ成り立つ物語設定
鬼滅の刃の世界観を支える重要な要素、それは「文明が発展した時代に、鬼という存在がいる」という矛盾です。
「文明の発展」と「鬼の存在」の矛盾
科学が発達し、様々な現象が科学的に説明できるようになった大正時代。そんな時代に「鬼がいる」と言われても、誰が信じるでしょうか。
現代の私たちが宇宙人や妖精の存在を簡単には信じないのと同じです。「そんな馬鹿なことあるわけない」と思うのが普通ですよね。
だからこそ、鬼殺隊の戦いは人知れず闇の中で行われる。一般の人々は鬼の存在を知らず、平和に暮らしている。この設定が、大正時代という枠組みの中で強い説得力を持つわけです。
鬼殺隊が政府非公認である理由
作中で明かされているように、鬼殺隊は政府非公認の組織です。その理由は「文明が発展した今の時代に鬼の存在は認め難いものだから」とされています。
もし江戸時代なら、妖怪や鬼の存在は人々に広く信じられていたでしょう。逆に現代なら、科学技術で対処できるかもしれません。大正時代というのは、その中間にある絶妙な時代なんです。
科学が発達した時代だからこそ際立つ非現実
電灯が灯り、新聞が発行され、映画が上映される。そんな近代的な社会の中に、人を喰らう鬼が潜んでいる。この対比が、物語に独特の緊張感をもたらしています。
明るく輝く文明社会と、闇に潜む鬼の世界。光と影の対比が、大正時代という舞台設定によって際立つわけですね。
廃刀令と日輪刀の関係
炭治郎たちが日輪刀を隠そうとする場面を覚えていますか。あれには歴史的な背景があります。
明治9年(1876年)の廃刀令
明治政府は、武士階級を解体する政策の一環として、刀を持つことを禁止しました。これが廃刀令です。
江戸時代まで武士の象徴だった刀は、この法令によって持ち歩くことができなくなりました。警察官や軍人など、特別な許可を得た者だけが刀を持つことを許されたんです。
なぜ刀を隠す必要があるのか
鬼殺隊は政府非公認の組織であり、隊士たちは法的には一般市民です。つまり、刀を持って街中を歩けば、法律違反で取り締まられてしまいます。
だから炭治郎たちは、隊服の中に日輪刀を隠したり、背負っていても何かの道具のように見せかけたりする必要があったわけです。この設定も、大正時代という時代背景があってこそ成り立っています。
大正時代の刀事情
大正時代の一般市民にとって、刀は博物館や骨董品店で見るものでした。日常生活で刀を見かけることは、ほとんどなかったんです。
そんな時代に、若者たちが刀を持って鬼と戦っている。この「時代錯誤」な状況が、かえって物語に不思議な魅力を与えています。進歩した時代に取り残された、孤独な戦士たちの姿が浮かび上がってくるんですね。
江戸時代ではダメだった理由
「鬼退治なら、江戸時代を舞台にしても良かったのでは?」と思う方もいるかもしれません。
確かに、江戸時代なら妖怪や鬼の存在は広く信じられていたので、設定としては自然です。しかし、江戸時代では鬼滅の刃という物語は成立しなかったでしょう。その理由を3つ挙げます。
現代ではダメだった理由
まず、現代を舞台にできなかった理由から考えてみましょう。
現代なら、鬼が現れたとしても警察や自衛隊が出動するでしょう。銃や爆弾などの近代兵器で対処できるかもしれません。SNSで情報が拡散され、すぐに大騒ぎになります。
つまり、「人知れず鬼と戦う」という物語の根幹が成り立たないんです。秘密裏に戦う鬼殺隊という設定が、現代では不自然になってしまいます。
大正時代が最適だった3つの理由
理由1:文明と伝統の共存
大正時代は、近代化が進む一方で、まだ伝統的な価値観や生活様式が色濃く残っていた時代です。都市部では電気が灯り、地方では江戸時代のような暮らしが続いている。この二重構造が、物語に深みを与えています。
理由2:情報伝達の限界
新聞や雑誌はあっても、テレビやインターネットはありません。情報の伝わる速度が遅いため、地方で起きた鬼の事件が都市部の人々に知られにくい。「鬼殺隊が人知れず戦う」という設定がリアリティを持つわけです。
理由3:社会の過渡期
大正時代は、古い価値観と新しい価値観がせめぎ合う過渡期でした。民主主義の芽生え、女性の社会進出、格差の拡大。様々な社会問題が渦巻く中で、鬼という存在を通じて人間の本質を描くことができたんです。
「和」と「洋」が混在する絶妙なバランス
和服と洋服、刀と銃、伝統と革新。これらが入り混じる大正時代だからこそ、鬼滅の刃独特の世界観が生まれました。
袴にブーツ、詰襟に羽織。和洋折衷のファッションが、そのままキャラクターデザインに反映されています。この絶妙なバランスが、作品の魅力の一つになっているんですね。
江戸時代では「完全に和」、現代では「ほぼ洋」となってしまい、この独特の雰囲気は出せなかったでしょう。大正時代という選択は、まさに作者の慧眼だったと言えます。
大正時代の闇〜孤児・貧困・格差社会
鬼滅の刃には、暗い過去を持つキャラクターが多く登場します。実は、これも大正時代の社会問題を反映しているんです。
鬼殺隊に孤児が多い理由
炭治郎は家族を鬼に殺されました。善逸は孤児でした。伊之助は山に捨てられていました。カナヲも親に売られた過去があります。
主要キャラクターの半数以上が、両親を失っているか、親から見捨てられた経験を持っています。なぜこれほど孤児が多いのでしょうか。
それは、大正時代の社会背景と無関係ではありません。
大戦景気と格差の拡大
第一次世界大戦(1914〜1918年)により、日本は大戦景気に沸きました。しかし、この恩恵を受けたのは主に資本家や地主など、もともとお金を持っていた人々です。
一般庶民、特に農村部の人々の生活は、むしろ苦しくなっていきました。物価が上昇する一方で、収入は増えない。格差はどんどん広がっていったんです。
米騒動(1918年)の背景
大正7年、富山県から始まった米騒動は全国に広がりました。米の価格が急騰し、庶民が米を買えなくなったためです。
1918年1月に1石(約150kg)15円だった米が、7月には30円を超えました。わずか半年で2倍以上の値上がりです。今で言えば、お米1袋が急に1万円になるようなものですね。
生活に困窮した人々が暴動を起こし、政府は軍隊を動員して鎮圧しました。これほど深刻な社会問題が、大正時代には存在していたんです。
鬼たちの過去に見る社会問題
鬼滅の刃に登場する鬼たちも、元は人間でした。そして、その多くが貧困や差別、病気などの理由で社会から排除された存在です。
貧しさゆえに盗みを働き、罪人となった者。病気で家族から疎まれた者。差別され、居場所を失った者。彼らは人間時代に得られなかったものを、鬼の力で得ようとしました。
作者は、鬼という存在を通じて、当時の社会問題を描いているんですね。これは単なる勧善懲悪の物語ではなく、社会の闇と向き合う作品なんです。
炭治郎たちの過酷な生活
炭治郎の生活を改めて見てみましょう。13歳の少年が、どれほど過酷な状況に置かれていたか。
13歳で家族を支える現実
父親が亡くなった後、炭治郎は家族を養うために炭を焼き、それを町まで運んで売っていました。山道を重い荷物を背負って往復する。これは大人でも大変な重労働です。
しかも、冬の雪山です。滑って転べば、命にかかわる危険もあります。それでも炭治郎は、幼い弟妹たちのために働き続けました。
教育の機会を失った子どもたち
禰豆子も、幼いのに弟妹の面倒を見ていました。炭治郎や禰豆子は、学校に通うこともできなかったでしょう。
大正時代、小学校の就学率はほぼ100%に達していましたが、それは都市部や平野部の話です。山奥の貧しい家庭では、子どもも貴重な労働力でした。教育を受ける機会がないまま、大人になっていく子どもたちが多く存在したんです。
大正時代の児童労働
工場で働く子どもたち、農作業に駆り出される子どもたち。大正時代には、児童労働は珍しいことではありませんでした。
今の私たちから見れば「子どもなのに」と思いますが、当時は生きるために必要だったんです。炭治郎の境遇も、決して特別なものではなく、当時の地方に住む貧しい家庭では普通のことでした。
こうした時代背景を知ると、炭治郎の「家族思い」という性格が、単なる美徳ではなく、生き延びるために必要な資質だったことが分かります。家族で支え合わなければ、生きていけない時代だったんですね。
時代考証の矛盾と作者の意図
鬼滅の刃を読んでいると、「あれ?」と思う部分もあります。時代考証の矛盾や、史実との違いです。
刀を持つことへの疑問
先ほども触れましたが、大正時代に刀を持ち歩くことは法律違反でした。それなのに、炭治郎たちは堂々と刀を持って旅をしています(一応隠していますが)。
「もっと厳しく取り締まられるのでは?」と思う方もいるでしょう。確かに、リアリティを追求すればおかしな部分です。
時代設定のミスは本当にミス?
しかし、これは作者が意図的にやっていることだと考えられます。
鬼滅の刃は、歴史小説ではなく、ファンタジー作品です。大正時代という舞台は使っていますが、完全に史実に忠実である必要はありません。
むしろ、「刀を持った若者たちが鬼と戦う」というファンタジー要素と、「大正時代の日本」というリアルな舞台設定を組み合わせることで、独特の世界観が生まれているんです。
リアリティとファンタジーのバランス
細かな時代考証を完璧にすることよりも、物語として面白くすることを優先した。これが作者の選択だったのでしょう。
実際、服装や建物、乗り物などの描写は丁寧に時代考証されています。一方で、鬼や呼吸法といったファンタジー要素は、現実離れしています。
このバランスが絶妙なんです。完全にファンタジーだと浮世離れしすぎる。完全にリアルだと物語が窮屈になる。その中間点を見事に突いているのが、鬼滅の刃という作品なんですね。
浅草の吾妻座が示すヒント
作中に登場する浅草の場面には、細かな時代考証のヒントが隠されています。
1920年焼失前の建物
炭治郎が無惨と出会った浅草の場面で、「吾妻座」に似た建物が描かれています。吾妻座は実在した劇場で、大正9年(1920年)に火事で焼失しました。
もし作中の建物が吾妻座だとすれば、物語の時期は1920年より前、つまり1912〜1920年の間ということになります。これは他の証拠とも一致しますね。
作中の描写から読み取れる年代
浅草の場面では、市電が走り、電灯が灯り、多くの人々が行き交っています。活動写真(映画)の看板も見えます。これらすべてが、大正時代初期から中期の浅草の様子と一致しているんです。
細かな時代考証へのこだわり
建物の様式、人々の服装、街の雰囲気。作者は大正時代の資料を丹念に調べ、可能な限り忠実に再現しようとしています。
完璧な時代考証ではないかもしれませんが、そのこだわりは随所に見られます。だからこそ、私たちは「大正時代」という時代を、作品を通じてリアルに感じることができるんですね。
100年後の現代に繋がるメッセージ
大正時代から約100年が経ちました。鬼滅の刃が現代の私たちに響く理由は、時代を超えた普遍的なテーマがあるからです。
スペイン風邪とコロナ禍の共通点
大正7年(1918年)から流行したスペイン風邪。そして令和元年(2019年)から始まった新型コロナウイルスのパンデミック。
約100年の時を経て、人類は再び感染症の脅威に直面しました。不思議なめぐり合わせですよね。
大正時代の人々がスペイン風邪と戦いながら生きていたように、私たちもコロナ禍を生き抜いてきました。その中で鬼滅の刃が大ヒットしたことには、何か意味があるように感じます。
見えない敵(感染症)と戦う現代と、見えない敵(鬼)と戦う鬼滅の世界。そこに共通するものがあったのかもしれません。
大正時代と現代の格差問題
大正時代には、大戦景気で富裕層がさらに豊かになる一方、庶民の生活は苦しくなるという格差が生まれました。
現代でも、経済成長の恩恵を受けるのは一部の人々で、多くの人々は生活に苦しんでいます。格差社会という問題は、100年経っても解決していないんです。
鬼滅の刃が描く「社会から排除された者たちの物語」は、現代にも通じるテーマです。だからこそ、多くの人々の心に響いたのでしょう。
なぜ今、鬼滅の刃が響くのか
不安定な時代、見えない敵への恐怖、格差や分断。現代社会が抱える問題は、大正時代と驚くほど似ています。
そんな中で、家族の絆、仲間との絆、諦めない心を描いた鬼滅の刃は、私たちに勇気を与えてくれました。
100年前も、100年後も、人間の本質は変わらない。困難に立ち向かい、大切な人を守ろうとする。その普遍的な想いが、時代を超えて共感を呼んだのだと思います。
現代編(令和)は何年?
鬼滅の刃の最終話には、現代の子孫たちが登場します。では、この現代編は何年頃の設定なのでしょうか。
輝利哉113歳説
産屋敷輝利哉は、最終決戦の時に8歳でした。現代編で「日本最高齢」として紹介されています。
日本の最高齢記録は112歳です(記録更新の可能性はありますが)。これを基準にすると、輝利哉は113歳程度と推測できます。
8歳に105年を足すと113歳。つまり、最終決戦から約105年後が現代編ということになります。
2017〜2020年頃と推定
最終決戦が大正5〜6年(1916〜1917年)だとすれば、そこに105年を足すと2021〜2022年頃となります。
ただし、現代編には高校生がスマートフォンを使っている描写があります。スマートフォンが日本で普及し始めたのは2010年代です。
これらを総合すると、現代編は2017〜2020年頃を描いていると考えられます。
連載終了年との一致
興味深いことに、鬼滅の刃の連載が終了したのは2020年です。つまり、現代編の時期と連載終了の時期がほぼ一致するんです。
作者は、連載を始めた時点で、現代編の年代まで計算していたのでしょうか。もしそうだとしたら、驚くべき緻密さですね。
物語は大正時代に始まり、約105年の時を経て、私たちが生きる現代へと繋がっていく。この壮大な時間の流れが、鬼滅の刃という作品の魅力の一つになっています。
大正時代年表〜鬼滅の刃と歴史の対照表
最後に、鬼滅の刃の出来事と実際の歴史を対照できる年表をまとめました。
| 西暦 | 和暦 | 鬼滅の刃の出来事 | 実際の歴史 |
|---|---|---|---|
| 1912年7月 | 大正元年 | – | 明治天皇崩御、大正天皇即位 |
| 1912年12月 | 大正元年 | 第1話・炭治郎家族襲撃 | タイタニック号沈没(4月) |
| 1913〜1914年 | 大正2〜3年 | 炭治郎、鱗滝の元で修行 | – |
| 1914年 | 大正3年 | – | 第一次世界大戦勃発(7月) |
| 1915年2月 | 大正4年 | 最終選別、鬼殺隊入隊 | – |
| 1916年11月 | 大正5年 | 無限列車編 | 第一次世界大戦継続中 |
| 1917年頃 | 大正6年頃 | 遊郭編〜最終決戦 | – |
| 1918年 | 大正7年 | – | 米騒動、スペイン風邪流行開始、第一次世界大戦終結 |
| 1920年 | 大正9年 | – | 国際連盟発足、第1回国勢調査 |
| 1923年 | 大正12年 | – | 関東大震災(9月1日) |
| 1925年 | 大正14年 | – | 普通選挙法成立、ラジオ放送開始 |
| 1926年12月 | 大正15年 | – | 大正天皇崩御、昭和時代へ |
この年表を見ると、炭治郎たちが戦っていた時期に、世界では大戦が起きていたことが分かります。
鬼という見えない敵と戦う炭治郎たち。そして実際の戦争で戦う兵士たち。どちらも命をかけて戦っていたんです。
大正時代という激動の時代を舞台に、人間の強さと弱さ、絆の大切さを描いた鬼滅の刃。その時代背景を知ることで、作品をより深く楽しむことができるでしょう。
まとめ:鬼滅の刃は大正2年(1913年)から始まる約3年間の物語
鬼滅の刃の時代設定について、詳しく見てきました。
物語は大正元年〜2年(1912〜1913年)に始まり、大正5〜6年(1916〜1917年)頃に最終決戦を迎える約3年間の物語です。
第1話で炭治郎の家族が襲われたのは1912年12月頃。そこから2年間の修行を経て、1915年2月に最終選別。無限列車編は1916年11月19日。そして最終決戦へと進んでいきます。
大正時代という、科学文明が発展しながらも貧困や格差が広がった激動の時代。電気が灯る都市と、江戸時代のような暮らしが残る地方。文明と伝統、光と闇が交錯する時代だからこそ、「鬼」という存在と「鬼殺隊」の孤独な戦いがリアルに感じられるんです。
作品を見返す際には、ぜひこの時代背景も意識してみてください。炭治郎たちが生きた大正何年という具体的な時代、そこに存在した社会問題、人々の暮らし。それらを知ることで、物語により深い理解と共感が生まれるはずです。
100年前の大正時代から、現代の私たちへ。鬼滅の刃が伝えるメッセージは、時代を超えて輝き続けています。
鬼滅の刃は大正何年が舞台?時代設定の総括
ここまで鬼滅の刃の大正何年という時代設定について詳しく解説してきました。最後に重要なポイントを箇条書きでまとめます。
鬼滅の刃の時代設定に関する結論
- 物語の開始時期:鬼滅の刃は大正元年12月(1912年12月)頃から始まる約3年間の物語
- 時代特定の根拠:手鬼の「47年前の江戸時代慶応」という台詞と炭治郎の「正月になったら」という発言が決定的な証拠
- 各エピソードの年代:最終選別は大正4年(1915年)2月、無限列車編は大正5年(1916年)11月19日、最終決戦は大正6年(1917年)頃
- 大正時代の期間:1912年7月30日〜1926年12月24日の約15年間で、日本史上最も短い時代区分
- 炭治郎の生年:1899年(明治32年)頃の生まれで、19世紀最後の世代
なぜ大正何年という時代設定が選ばれたのか
- 文明と鬼の矛盾:科学が発達した時代だからこそ「鬼が信じられない」という設定に説得力が生まれる
- 鬼殺隊の立ち位置:政府非公認で人知れず戦う組織という設定が、大正時代でこそ成り立つ
- 大正時代の必然性:江戸時代では鬼が普通に信じられ、現代では科学技術で対処可能。大正時代が唯一の選択肢
- 和洋折衷の世界観:袴にブーツ、詰襟に羽織という大正ロマンの文化が、作品の独特な雰囲気を生み出す
- 社会問題の反映:孤児や貧困、格差社会という大正時代の闇が、鬼殺隊や鬼たちの設定に深みを与える
- 時代の過渡期:都市部と地方、文明と伝統、光と闇が共存する時代だからこそ物語が際立つ
- 現代への繋がり:スペイン風邪とコロナ禍、格差問題など、100年を経ても変わらない人間社会の課題を描く
鬼滅の刃が大正何年を舞台にしたのは、単なる時代設定ではなく、物語の核心と深く結びついた必然の選択だったのです。