「ダンまち5期 ひどい」
検索窓にこのキーワードを入れてしまったあなたは、今まさに視聴を続けるか迷っているか、見終わって「あれ、期待していたのと違う…」とモヤモヤしているのではないでしょうか。
結論から言います。ダンまち5期(豊穣の女神篇)は決して「駄作」ではありません。しかし、絶賛された前作(4期)とは決定的に異なる「ある数字」が、視聴者に強烈な違和感を与えているのです。
この記事では、感情論や「作画崩壊」といった安易な言葉で片付けるのではなく、原作のページ数消化率や制作会社のスケジュールといった「客観的なデータ」を使って、なぜ5期が荒れ気味なのか、その正体を解き明かします。
ダンまち5期が「ひどい」と言われる正体は「作画」ではなく「尺不足による心理描写カット」である
まず、SNSや掲示板で散見される「作画がひどい」という意見についてですが、実はこれ、問題の本質から少しズレています。
冷静に画面を見てみてください。キャラクターの静止画(止め絵)自体は、そこまで崩れていません。
本当の問題は、物語の進むスピードが速すぎて、視聴者の感情が追いつかない「ダイジェスト感」にあります。
特に5期で描かれる「豊穣の女神篇」は、ダンジョン攻略などの物理的なバトルよりも、主人公ベルとヒロインたちの心の動き(心理描写)こそがメインの章です。
しかし、アニメでは物理的な尺(時間)が足りず、キャラが悩み抜く間もなく次々とイベントが発生してしまいます。
その結果、「なぜ急に怒った?」「なぜそこで惚れた?」という行動原理が見えなくなり、視聴者が物語から置いてけぼりにされてしまう。これこそが「ひどい(=感情移入できない)」と言われてしまう根本的な原因です。
根拠①:神回連発だったダンまち5期4期と5期の「脚本密度」を計算してみた
では、その「速すぎる」という感覚は本当に正しいのでしょうか?
実際に、多くのファンが「神アニメ」と絶賛した4期(深章・厄災篇)と今回の5期について、「アニメ1話あたり、原作小説を何ページ進めているか」を計算し、脚本の密度を比較してみました。
[STEP 3の計算結果] 4期に比べ5期は約1.5倍のスピードで進んでいる
計算式は以下の通りです。
(原作の総ページ数)÷(アニメの話数)=【1話あたりの消化ページ数】
- 4期(全22話):
- 対象原作:12巻、13巻、14巻(計3冊)
- 計算結果:1冊あたり 約7.3話 を使ってじっくり描写
- 5期(全15話想定):
- 対象原作:16巻、17巻、18巻(計3冊 ※15巻はカット)
- 計算結果:1冊あたり 約5.0話 で駆け抜ける
この数字が示す事実は衝撃的です。5期は4期に比べて、約1.5倍のスピードで原作を消費していることになります。
4期が「1分1秒を惜しまず、ベルとリューの絶望と絆を丁寧に描いた」のに対し、5期は「とにかく膨大なイベントをこなして、最終決戦(ウォーゲーム)というゴールにたどり着く」ことが最優先されている状態です。これでは、視聴者が余韻に浸る暇がないのも無理はありません。
数字で見る「余裕のなさ」が招いた違和感
「1冊を5話で消化する」というのは、アクション中心のラノベ作品なら許容範囲かもしれません。
しかし、5期の原作(特に16巻・17巻)は、「複雑に絡み合う恋愛感情」や「都市全体を巻き込む政治的駆け引き」が主軸です。
本来ならセリフの間(ま)や、視線の動き、沈黙で語るべき繊細なシーンを、セリフの早回しやシーン転換の速さで処理せざるを得なくなっています。
視聴者が感じる「なんか軽い」「淡々としている」という違和感の正体は、この「情緒を犠牲にしたスピード違反」なのです。
根拠②:J.C.STAFFの制作ライン状況とスタッフ比較
次に、制作現場の「物理的な状況」にも目を向けてみましょう。
アニメーション制作は引き続き「J.C.STAFF」が担当していますが、5期放送時期(2024年秋クール周辺)の彼らのスケジュールは、はっきり言って異常事態でした。
同時期の制作アニメ数から見るリソース不足
J.C.STAFFは業界でも屈指の大手スタジオであり、複数の制作ラインを持っています。しかし、それにしても以下のラインナップを見てください。これらがほぼ同時期(2024年秋)に放送・制作されていました。
- ダンまち5期
- 株式会社マジルミエ
- 2.5次元の誘惑(第2クール)
- やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中
- FAIRY TAIL 100年クエスト
- 魔法使いになれなかった女の子の話
- 村井の恋
なんと7作品同時進行です。これだけの作品を同時に抱えていれば、当然、トップクラスのアニメーターや撮影監督、演出家のリソースは分散してしまいます。
4期の時は、特に後半の「ジャガーノート戦」にエース級のスタッフが集結し、執念のようなクオリティ(作画枚数、撮影処理)を発揮していました。
対して5期は、スタッフロールを見てもリソースが分散した影響が否めません。「スタッフの愛がない」のではなく、「物理的に人手が足りず、4期のような超絶クオリティを維持できる環境ではなかった」というのが、悲しいですが現実的な分析でしょう。
根拠③:原作勢が絶望した「カットされた3つの重要シーン」
スピードアップとリソース不足の弊害として、原作ファンが最も悲鳴を上げているのが「重要シーンのカット」です。
「アニメ勢だから関係ない」と思わないでください。これらがカットされたことで、アニメ勢にとっても「キャラの行動が理解不能」になっているのです。
ここでは、特に痛かった3つのポイントを解説します。
- 15巻の「日常と成長」の全カット
- 4期での死闘を癒やし、ベルがステイタスを更新して次の戦いへの決意を固める「15巻」が、アニメではほぼ丸ごとスキップされました。
- これにより、視聴者はベルたちのメンタル回復の過程を見られないまま、唐突に次のトラブル(豊穣の女神篇)に放り込まれます。いわば、「準備運動なしでフルマラソンを走らされている」状態です。
- シル・フローヴァの「静かな狂気」の描写不足
- ヒロインの一人、シルの行動には裏に隠された深い意図と狂気があるのですが、尺の都合で表面的な「わがままな女の子」のように描かれがちです。
- 彼女の魅力である「底知れなさ」が半減しており、後半の衝撃的な展開への伏線が弱くなっています。
- 17巻におけるベルの「精神崩壊寸前の葛藤」
- 原作17巻は、ベルが精神的に追い詰められ、アイデンティティが崩壊しかける「鬱展開」が魅力です。
- 本来はもっと執拗に、長く描かれるはずの苦悩が、アニメでは比較的あっさりと解決したように見えてしまいます。ここが軽いと、その後の逆転劇のカタルシス(解放感)も薄れてしまうのです。
これらは、「なくても話は通じる」かもしれませんが、「ないと物語の深みが死ぬ」要素ばかりです。
【擁護】それでも5期を見る価値はある?「声優の演技」と「音楽」は健在
ここまで厳しい分析をしてきましたが、では5期は見る価値がない駄作かと言えば、絶対にそんなことはありません。
制作状況が厳しくても、音響周り(声優と音楽)は「神」レベルを維持しています。
特に、主人公ベル役の松岡禎丞(まつおか よしつぐ)さんの演技は、もはや人間国宝級です。
尺が足りず、絵の芝居で語りきれないキャラクターの感情を、彼の「魂を削るような絶叫」や「震える声の演技」が強制的に補完しています。アニメの絵を超えて、声だけで視聴者の涙腺を殴ってくる。この体験ができるのは、ダンまち5期ならではの魅力でしょう。
また、シル役の石上静香さんの「可憐さと狂気が入り混じった演技」や、劇伴(BGM)を担当する井内啓二さんの壮大なオーケストラサウンドも健在です。
音楽が流れると、どんなに展開が速くても「ダンまちを見ている!」という高揚感に包まれます。この「音の力」こそが、5期を支える最大の柱と言えます。
まとめ:原作を読むべき人と、アニメだけで楽しめる人の境界線
ダンまち5期の「ひどい」と言われる評価について、数値と環境から検証してきました。
結論として、視聴スタイルによって評価は真っ二つに分かれます。
- アニメだけで十分楽しめる人:
- ストーリーの大筋だけ追えれば満足
- 声優さんの神がかった演技を楽しみたい
- 細かい心理描写よりも、物語のテンポが良い方が好き
- 絶対に原作(小説)を読むべき人:
- 「なんでこの時、ベルはこう言ったの?」と疑問に思った
- ベルとヒロインたちの「重厚でドロドロした感情」を浴びるように楽しみたい
- 4期のような濃密な没入感を求めている
もし、アニメを見ていて「展開が早すぎる」「感情移入できない」とモヤモヤしたなら、それは作品がつまらないのではなく、アニメという枠に収まりきらなかった「面白さ」がこぼれ落ちているサインです。
そのモヤモヤは、原作小説(特に16巻〜18巻)を読むことで、嘘のように解消されます。「ひどい」で見切るにはあまりに惜しい名シリーズ